岩波新書 筑紫哲也著 「スローライフ----緩急自在のすすめ」 を何ヶ月も前に本屋さんで買ったがそのまま読まずにいた。最近になってこの本を少しづつ読み始めるようになった。
職業が食べ物を扱っている関係で、タイトルの「スローライフ」より「スローフード」に興味をもって読んでいたある日、高知新聞土曜日朝刊自由時間のページに 「高知は食材の宝庫」料理家の池田さん(兵庫県)スローフード活動を応援 の見出しとコメントが目に留まった。
池田律子さんは、日本航空で9年間働いた後、イタリア暮らし12年、現地のスローフード活動に詳しく、日伊両国で料理教室を開き、三年前、たまたまの縁で訪ねた高知が食材の”宝庫”であることを知りファンに。この四月末のスローフード高知協会総会にも出席。「高知は食材も人も時間の流れも、南イタリアそっくりです。食の魅力のPR、喜んで引き受けます」と。
そういえば2,3年前ある会合の懇親会の席上、高知学園短大の先生と話をする機会があり、一枚のコピー用紙をいただき事務所の壁に貼っていた。このコピー用紙の上へ別の用件の紙を重ねていたのでこのコピー用紙の存在をすっかり忘れていた。が、この新聞記事を見て、ふっと、壁に貼って隠れていたコピー用紙を思い出し、もしかしたらこの新聞の記事に載っているスローフード高知と壁に貼ってあるコピー用紙のスローフード活動の団体がいっしょかもしれないと思い、重ねていた紙をめくってみた。
団体はいっしょだった。Slow Foodとかたつむりの絵の公式ロゴマークがありスローフード活動(食文化のボランティア団体)の大きな見出しと事務局高知学園短大食品加工学研究室内と書いてあった。この用紙をいただいた時は、高知で「スローフード高知」を立ち上げたばかりの時だったんだなと思った。
1980年代半ばにイタリアローマのスペイン広場にファーストフード店がオープンした。イタリアの家庭では、手間ひまかけて料理を作り、時間をかけて食事を楽しむ習慣があり、ファーストフード店の進出でイタリアの食文化の危機を感じた食文化雑誌の編集者だったカルロ・ペトリー二が、食生活の改善を訴え、イタリア余暇・文化協会(アルチ)という団体の一部門として、「アルチ・ゴーラ」という美食の会を作ったのが始まりのようである。その後、1998年イタリア北部の小さな町「ブラ」にスローフード協会という民間の非営利団体(NPO)を設立し、この運動が世界中に広がっていった。
この運動は、単なるファーストフード反対運動や、おいしいものをゆっくり味わうということでもない。
スローフード運動を興したスローフード協会長のカルロ・ペトリー二が、どんな食べ物を「スローフード」と呼ぶかについて語った4つの要件(定義)というのがある。
①その土地の産物であること。
②素材の質の良さが保たれていること。
③その土地の風習に合った生産法で作られていること。
④その土地に活気を与え、郷土の社会性を高める食品であること。
これらの定義は、「地産地消」が目指したものとほとんど同じである。
更に、スローフード活動の具体的な3つの指針が示されている。
①守る:消えゆく恐れのある伝統的な食材や郷土料理や質の良い食品を守る。
②支える:質の良い食材を提供してくれる小規模生産者を守る。
③教える:子供たちを含めた消費者全体に味の教育を進める。
2002年、アジアから初めて「スローフード賞」に選ばれたのは、佐賀県の農民、武富勝彦さんだった。武富さんが手がけたのは「古代米」である。有明海沿岸に拡がる葦原の葦を堆肥にして有機農法で赤米、黒米、緑米の古代三色米を作る武富さんたちの葦農は、スローフードがいう「その土地の風習に合った生産法」である。受賞の知らせを聞いた武富さんが発した第一声は、「スローフードって何?」だったそうな。
作る環境や作る場所がどんなにかけ離れていても、食のありようを追求していくと同じことにたどりついてしまうのだろう。
では、「スローフード・高知」の活動は、どのような指針で活動しているのだろうか。
①希少で、作り手が消えつつある質の良い食材・食品や郷土料理を支援し守ること。
②考えても良い 食べても良い食材を提供してくれる小さな生産者及び良い料理を提供してくれる料理店を支援し守ること。
③子供たちを含めた消費者全体に食品の品質や味覚の知識を普及すること。
④食と生活が一体となった地域の生業を提案して、それを支援すること。
⑤「食を語りながら楽しくいただく」(生産~消費)のためのイベントなどを開くこと そして一人ひとりの力が育む高知の食文化をめざします。
と書いてあった。
地域の励みになる内容であり、これから将来に向かっての大切な事がちりばめられており、何よりも取り組む姿勢がすばらしいですね。
筑紫哲也さんは、大分県出身で、この本に大分県の一村一品運動から地産地消までの流れをわかりやすく述べている。
筑紫さんの出身地の近くに大山町という小さな町があって、今全国に拡がってにぎわっている「道の駅」はここの成功がヒントだったと言われている。又、この町は「一村一品」の起点でもあった。この大山町の試みと、歓楽型の温泉町に背を向けて自然と融合した温泉地を目指していた「湯布院」とに着目して当時大分県知事平松守彦さんが運動化したのが「一村一品」だったそうな。地域が生き残るためにやったさまざまな試みの1つがこの「一村一品」であり、次に「町おこし、村おこし」、次に「地域活性化」、そして今は「地産地消」、となる。この一連の流れの中でますます深まったのは、食材に対する不安であり、素性のわかった食材を求める消費者の欲求であると核心を突いて述べている。
今後、「スローフード」や「地産地消」の取り組みがますます重要となる。
余談となりますが、湯布院が「一村一品」の起爆剤となったとは意外でした。高知市の北にある土佐山に「オーベルジュ土佐山」という宿泊施設があります。5年以上前、コンパクトだがそこにいろんなジャンルの図書があるなかで「湯布院幻燈譜」中谷健太郎著という本があり読みふけったことがありました。湯布院に住む人たちといっしょにさまざまな問題にぶつかりながらも、湯布院を立ち上げて行く苦闘が書かれていたからです。
麸富ヨコヤマのホームページ
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